社会人3年目の春 5年振りのブログ
5年前に書いたブログの記事を読んだ。
大学3年生だった私の言葉を読んで、その頃の心情が一瞬蘇って、ぶわっと、涙が出てしまった。
5年前の私と、今日の私は、別に何も変わっていない。
私は今も彼氏はいないし、友達もほんの少ししかいない。
会社員になれただけマシか。それでもなお、ほぼ引きこもりの生活は続いている。
大学3年生の時に苦しんでいたことと、今苦しんでいることは、何ら変わっていない気がする。
ただ、あの頃よりも、生きていく希望を見いだせなくなってきた気がする。
社会人になる前の私はまだどこかで、夢を追えるような気がしていた。
小説家になるとか、歌手になるとか、いつかまだ叶えるチャンスがあるはずだと、心の片隅に希望を残していた。
だけど今は、生き長らえているだけである。
ADELEの歌で、私の一番好きな歌の一つである、Love in the Dark にあるフレーズ。
"I want to live and not just survive"
私は生き延びるのではなく、生きたい。
このフレーズが大好きなのに、私は今、まさに just survive の状態で、
動けず、進めず、蹲っている。
ただ今日を生き延びているだけ。
毎日、意味もなくスマホを眺めて、早く会議が終わらないかなとか、もう社用PC閉じて終業していいかなとか、そんなことばかり考えている。
いっそしんでしまえば楽かしら、とふと思う。
でもその瞬間、あぁ、あの時買った服、まだ着てないなぁとか、もったいなくて使っていない食器を捨てるの、やだなぁとか、そんなことが頭によぎる。
そして結局ご飯を食べて、お菓子も食べて、ストレッチとかもして、寝ている。
私は自分の人生を歩みたい。
でも今はそうじゃない気がする。気がするけど、変えていく行動が、全然できない。
何をすればいいのか、わからない。
そう言って、たぶん、ただ何もしたくないだけなんだよなあ。
大学3年生・ひきこもりの夏
ラブミーは今日もひきこもり。
とはいえ完全なる引きこもりではない。毎日ジムに行って1km泳いでサウナに入る。
でもそれだけ。外に出て何もすることがない。誰も会う人がいない。
ラブミーは大学に実家からではなく一人暮らしの家から通う。
だから夏休みは実家に帰ってくる。夏休み一人暮らしの家にいてもやることがないので、約1ヶ月半ずっと実家にいる。
だからなのか、しかしなのか、結局ひきこもりである。やることがないのは同じである。
バイトは大学でやっているので夏休み中は全くない。だからと言って実家の方でバイトを探すにも面倒臭い。短期でバイトするとしたら住み込みのリゾート地や、1日だけの倉庫バイト、ティッシュ配りなどしかない。ラブミーは1日8時間も働くほど体力もないし根気もない。こうした単発バイトは大体8時間で、立ちっぱなしなので、やる前からラブミーは意気消沈である。
いやいやバイトしたらええやん、それが一番の時間潰しでしょう。そう思う。
でもバイトしたからといってラブミーにはそれを使う道がない。
遊ぶ彼氏も友達もいない。旅行も興味ない。欲しい服もない。何もないのである。
オシャレってのは遊ぶ彼氏や友達がいて初めて興味がわくものである。だってそれは、誰かに見られているという意識から生ずる欲望だし、外に出ないのにお金を使ってオシャレしても。それは部屋着と同一化してしまう。それなら楽にTシャツとリラコを着ていればいい。
本当は今年の夏こそ充実したものにするつもりだった。
勉強してインターンに行って友達と遊んでダイエットするんだ、って思っていた。
勉強は一向にやる気にならない。ここ数日になってやっと「入門ビジネス英語」を聞き始めたが、なかなか全力で取り組むことはできない。英語だけじゃなくて、ドイツ語もやらなきゃ、卒論の資料考えなきゃ、とか考えて、焦って、嫌になって、結局何もしないクズである。
インターンは書類選考で全落ち。やっとこさ行けたのは一応ESを出したものの多分それに関係なく申し込み順に行けた某印刷会社の4時間ワークショップと、新聞社のIS落ちした人向けのセミナー。そして、申し込み順で行けた近所にある会社。
これが「お祈りメール」か、とこの夏初めて知った。メールが来るたび「別にこんな会社行きたくなかった」と自分に言い聞かせている。それじゃダメだと言われても、そう思うしかない。どうせ私のESなんて読んでないんだろうな、とわかる落選メールの早さ。それなら最初から抽選とか先着にしてよ、と思う。
大体ESで聞かれる質問にだんだん嫌気がさしていく。「周囲の人を巻き込んでやり遂げたことは何ですか」という質問が一番嫌いだ。大学時代、はじめに入るサークルを間違えて、やり直すことも、乗り越えることもできなかった私にとって、この質問ほど不快なものはない。大学時代に周囲を巻き込めない奴はダメな奴なのか。大学以前にいくらリーダーをやったり、活動をしてきたりしても、たまたま感性の合わない大学に入って、大学時代だけはそれをできなかった奴は、もうそれで撥ね付けられてしまうのだろうか。
「成果を出したことを書け」という質問も嫌いだ。たった3年間の大学生活で、そんなに成果を出せることって転がっているのだろうか。頑張って必死に働きかけて、失敗したら、それはもう無意味なことだったのだろうか。「成果」には価値があって、「失敗」は無駄なのか。「失敗」ばかり重ねてきて、まだ立ち上がる途中の私にとって、これ以上苦しい質問はないのだ。
ダイエットって、オシャレと同じで、誰かに見られる意識がないとモチベーションにならならないんだな。外に出ずに、オシャレもせずに、誰にも会わないんじゃ、ダイエットなんて続くはずがない。モデルやアイドルが必死になってダイエットするのは、毎日テレビに映され、写真を撮られ、逐一スタイルや顔に好き勝手コメントつけられるからなんだな、と最近やっと理解した。誰にも見られていない私が必死にダイエットできるわけがない。しなきゃいけなんだけどね、本当は。
最近彼氏に振られた友達は、独り身ゆえに遊んでくれるようになるのかと思っていたら、男探しのためか寂しさを紛らすためか、大学の友人たちと毎晩飲んだり遊んだりしている。夏休みになってすぐに会った時は「これからどうせ暇だから〜」と遊ぶ約束していたのに、その1週間後に会ったら「私はほとんど空いてない」と、毎日毎日大学の友達と代わる代わる予定を入れていた。
大学が地方にある私にとって、大学の友達というのは授業期間に会う相手でしかない。
東京で会おうと言って会えるのは1人や2人だし、その人たちも結局夏休み中サークルなどがあるから大学のある方で暮らしている。
孤独である。孤独な夏休みである。
インスタグラムでは毎日、中学・高校時代の同級生たちが旅行先の写真や飲み会の写真を投稿して夏休みの充実度を競い合っているかのよう。「また会おうね」「夏休みに連絡してよ」と私が伝えた友人たちも連絡をしてくる素振りはないし、私もわざわざ会いたいと思うほど、彼らに話すネタがない。
こんなんじゃダメだと思う。
でもどうしたらいいのかわからない。
どうすることもできない。
ただ寂しくて蹲っている。人間は対人関係に悩むが、孤独でも悩む。
そして動けなくなる。
動けるようになるには、どうしたらいいのだろうか。
自己紹介②:山口百恵について
こんにちは! ラブミーです。
早速ご無沙汰になってしまいました。
さて、今日は自己紹介第二弾として私の好きなものの二つ目である
山口百恵さんについてお話したいと思います。
あれっ…やはり世代が合わないぃ!!
私も正直70年代を生きたほうが良かったのではなかろうかと思います。
とはいえ、山口百恵さんにハマったのは割と最近です。
もともとよく歌番組などで昭和特集などするとき必ず流されますから、
プレイバックpart.2や、秋桜、いい日旅立ち等々…聞けばわかる曲は沢山あったのですが、どっぷりハマったのはついここ数ヶ月ほど。
今は毎日流して聞いたり歌ったりしています!
よし、腕まくりをして語ろうかしらね! 以下からは百恵ちゃんと呼ばせてもらいます!
百恵ちゃんの魅力…それは語り尽くしても語りきれないものがありますが、
私はなんといっても、あの"媚びなさ"が一番好きなところです。
正直、今の日本は"媚びる"ことこそが最も必要とされる媚び時代です。
媚びない人間は受け入れられず、生きていけません。
マスメディアはもちろん、芸能人だって、政治家だって、媚び媚びです。
そんな今の日本に媚びないアイドルなんて存在しないのです。
アイドルは媚びてなんぼ。媚びない女は可愛くない。
そんな、人々の無意識のうちにある前提を覆すのが百恵ちゃんでした!!
百恵ちゃんは歌う時ほとんど笑いませんし、笑顔を見せるにしてもそれは媚びた笑顔ではないのです。無邪気というのとも違いますが、爽やかな笑顔であって、その笑顔で何か自分が得してやろう、相手に勝ってやろうなんて意識がないのです。
あの百恵ちゃんの凜とした態度は、誰もが憧れる「強さ」そのものだったと思います。
そう、「強さ」です。百恵ちゃんにはれっきとした強さがあるのです。
意志の強さというのはなかなか人が持とうと持って持てるものではありません。
強さとは勇気であり、意志であり、覚悟です。
きっと百恵ちゃんには自分の世界というものがはっきりとあったのだと思います。だからどんなに人気絶頂でも、自分にとって何よりも大切で、幸福であった三浦友和さんとの結婚を機に、きっぱりと芸能界から身を引いて、今もなお復帰をしません。
引退しても戻ってくる人はたくさんいますし、私自身それをよくないとも思いませんが、やっぱりこの潔さは、百恵ちゃんの意志の強さを表していると思いますね。
こんな百恵ちゃんの人間像に惚れている私ですが、百恵ちゃんの歌が本当に大好きです!
やっぱりね〜、違うんですね、この時代の歌って。味があって、深みがあって。百恵ちゃんの歌を聴くと現代の歌が聴けなくなっちゃうんですよ、浅はかすぎて(泣)
百恵ちゃんの歌といえばなんといっても阿木耀子・宇崎竜童夫妻の提供した曲が代表的であり百恵ちゃんの代名詞とも言えますが、本当に素晴らしいですよね!
百恵ちゃんは歌わされているアイドルであるはずが、この夫妻の作る歌を歌っている百恵ちゃんは、歌わされているように見えないんですよ。世界観が合うのでしょうね。
そんな百恵ちゃんの楽曲で私が特に好きなものをいかにランキング!?
いや、優劣は付け難いので、トップの5つを同列扱いに、ただ列挙のみをしたいと思います!
1. イミテーション・ゴールド
2. プレイバックPart.2
3. 曼珠沙華
4. 絶体絶命
5. ロックンロール・ウィドウ
以上がトップ5です!! 結局、上記の夫妻提供の曲で占めてしまいました(笑)
上記の5つについて詳しく語るのはまた今度にします。何時間も何千字もかかってしまいますからね!(笑)
結局、いかに百恵ちゃんという人が素敵かを語るだけになってしまいましたが、
今回はこれくらいに抑えたいと思います。
では、また!
自己紹介①:科学忍者隊ガッチャマンについて
こんばんは。ラブミーです。
今日は自己紹介の一環として、私の好きなものの一つについて、お話します!
私は物心つく前から、科学忍者隊ガッチャマンが好きです!
えっ… 世代じゃなさすぎる!!(爆)
世代でいうと私の父がちょうど小学校低学年の頃に初代のガッチャマンが放送されておりました。1972〜74年ですね。
私がガッチャマンを知ったのは、おそらく再放送か何かを父がVHSに録画してあったものを、幼稚園生くらいの頃の私が、なぜか見たみたいです(笑)
幼稚園児の私はテレビっ子というよりは「ビデオっ子」でした。両親が録画してくれた子供用アニメや、父が見せたくて見せるビデオを片っ端から見ているような子でした。
そんな私が自らどっぷりハマってしまったのが、科学忍者隊ガッチャマンでした。
父は録画はしたものの、自分自身はそんなに見ていなかったようです。むしろ、同じ頃にやっていたマジンガーZの方に父は夢中でした。私も父にマジンガーZは見せられましたが、もちろんお話は覚えてはいますがハマりはしませんでした。
なぜ父に推されたわけでもないのにハマってしまったのか。それは私にもわかりません、というか、物心ついた時にはもうガッチャマンが大好きでした(笑)
科学忍者隊ガッチャマンの視聴に関しては、初代の無印ガッチャマンは何話かビデオで見て、あと平成版(90年代)のアメリカンなガッチャマンもビデオが家にあって見ましたが、初代の他の話やガッチャマンⅡ、ガッチャマンFとはGyao!でコンプリートしました。
そしてタツノコプロが日テレ子会社化された今は、Huluで全て見られるようになっていますので、時々癒しに見ております(笑)
私の幼い頃からの愛読本は『僕たちの好きな科学忍者隊ガッチャマン』(別冊宝島、2003)でした(笑)
僕たちの好きな科学忍者隊ガッチャマン (別冊宝島 (801))
- 作者: 竜の子プロダクション
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2003/05
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父が買ってくれて本当に大喜びしまして、私はいつも、クマのぬいぐるみかこの本を脇に抱えて歩いていたと母に言われています(笑)
この本が出版されたのは2003年ですので、私はまだ小学一年生…。恐ろしい子です…。
本の中は読めない漢字でいっぱいでしたので、父に何度も何度も「これはなんて読むの?」と聞きながら、読み返していました。
そのおかげというかそのせいというか(笑)、初代ガッチャマンに関しては何話がどんな話だったかというのを大体把握しています(笑) 舐めるようにずーっとこの本を眺めていましたからね…。
今でもしょっちゅうこの本を広げて、幼い頃にはわからなかった解説やコラムを読み返しながら、アニメを見るだけでは味わえない感動を深く味わっています(笑)
概要としてはこのくらいでしょうか。本当はガッチャマンについてもっと語りたくて語りたくて仕方がないのですが、本当にきりがないので、今回はこれくらいに。
ああもっと、ガッチャマンというアニメに込められた正義と悪の思想とか哲学についてや、大鷲の健とかレッドインパルスとかジョーとかベルクカッツェとかもう色々語りたいことが…!
後々、小出しにして語ります(笑) 今日は夜遅いのでこの辺で。
失礼いたしました。
初めまして、火星人です
こんにちは。火星人のラブミーと申します。
火星人と言っても地球育ち、地球で生活している現役女子大生。
なぜ火星人と名乗っているかといえば、そこには深くも浅はかな事情があるわけですが、至極簡単に言えば、「地球って生きづらいなあ」と感じるから。
人間関係、学校生活、一人暮らし等々・・・悩みはたくさんありますが、そんなことより何よりも、根本的にあるのは「居心地の悪さ」。
ここは居場所ではないのではないかとか、居場所はもっと違う場所にあるはずだとか、色々考えている中で、たどり着いたのは自分を「火星人」と思うこと。
自分が正しいと思って行動したことでもそれは正しくないと断言され、切り捨てられることがあります。
それはおかしいと指摘したところで、状況は何も変わらなければ、それならお前がここからいなくなれという態度を取られることがあります。
私のことを嫌っているのは、苦手だと思っているだろうことは、明白なくせして、それでもいい顔して話しかけてくる人がいます。
信じていた人がずっと嘘をついていたと気付いた時がありました。
自分と同じだと共感し語り合ってきた人が何を考えているのかわからなくなった時がありました。
考えれば考えるほど、自分は孤独なのだと気付いた時がありました。
そんな時に考え出した、苦しみから抜け出す方法。
自分は「火星人」なのだから、地球に居場所なんてないのだと思うこと。
火星人は前向きです。地球に未練も何もないのです。
だから自分は孤独と割り切って、「火星人」として日々を楽しむことにしました。
このブログはその一歩です。
ここでは私の好きなものや考えについて好き勝手に語ります。
私の趣味を面白いと思ってくださったり、同じような苦しみを味わってきたという方に喜んでもらえたりしたら幸いです。
では、また! よろしくお願いします。